そもそも何?

私の記憶では仕事メンバーの飲み会で「人には言えない恥ずかしいご飯の食べ方」というテーマで語りあったのが始まりだったかと。

途中から参加したメンバーに半農の人がいて、みんなでコメ作りを手伝いに5年ほど恵那に通い、大人も子供もよく食べよく飲んだ(飲んだのは大人)。
その時みんなで食材を持ち寄っていたのだが、ある時から高橋氏の芋煮がメインになっていったような気が。

私にはそれくらいしか説明が出来ないので主要メンバーに質問してみた。

高橋 登 氏(芋煮部長)

時期 ⇒ 2000年秋頃~?
<その理由>
①1999年10月~2002年3月の私の名古屋在住期間に始まったと思います。
②2001年2月にもらった鳥居さんの名刺に、「2001年2月14日『賄いの会』」という私のメモが残っていました。

【結論】
いきさつ ⇒ 鈴木さん&江藤さんの知恵で、「元気な高齢者がその地域でいつまでもイキイキと暮らす」ことを支援する活動を考えて、それをビジネスとして成立させる目的でスタートしたのではなかったか、と思います。
そのためにも、まずは自分たちも自分たちで作ったもので楽しむ生活をしてみよう、ということになったように思います。
<その理由>
① 会議や飲み会に同席して、「『江藤農園』とかで作った梅干し等をネットワークで繋ぎ、販売もできたら!」とか、熱く語っておれたお二人の顔が思い出されます。
② その頃から≪恵那シュビッツ≫の一歩を踏み出し、後々には本格化していった、と思います。
③ 一方で、中電&八事日赤と組んだ『安心サービス』のアイデアが生まれ、2002年度はその営業活動的な活動として、江藤さんと名介研組織を活用しながら、いろんな企業・団体を回っていたように思います。

江藤 知治 氏(農園主)

多分、1999年と思います。介護保険がスタートする前に名介研ができて、そのなかで、介護予防の話があり、健康増進に話題が移り、食と健康に至ったと思います。
後、あの頃、韓国人の美人な金さんの店によく通っていて、そこでの話題が珍しい食べ物だったとおもいます。
そのお店で初めてまかないの会をやったと思います。鳥居さんの肉味噌とか、今井さんも高橋さんもその時参加されたと思います。
その後、参加者がかわりながら、お店では、月明かりとか、月のほとりとか、食べ物は、青のり、馬のホルモンやドイツのソーセージ、キノコ料理の店で開催。高橋さんの芋煮は店ではできないので駒宮さんの農作業の際に行いました。その際、参加者は各自、珍しい食べ物を持ち寄った、そんな感じだったと思います。珍味の会になるのでは?との懸念もありました。海のまかないや川のまかないもありました。

今井 博一 氏(たこ焼き部長)

よく分からんまま飲み会に引っ張られ、気が付いたら今。
なので経緯なんか知らん。

鳥居 一義 氏 (舌の確かなお毒見役)

大体みんなが言っていることで合っていると思う。