芋煮とは

起源

サトイモが日本に伝わったのは縄文時代とされるが、里芋は煮て食べるよりは茹でるか焼くか蒸すかが主な調理法であったと考えられるため、「芋煮」の成立は更に後世と考えられる。

江戸時代、米の不作に備えてサトイモも作られており、「芋煮」自体は家庭料理としても食べられていたが、サトイモの収穫時期に合わせて「芋煮会」の原型とみられることが農村部で行われていた。ただし、江戸時代には豚肉や牛肉などの肉類は一般に食べられていなかったため、現代のように芋煮に肉は入っていなかったと考えられる。「芋煮会」の原型は、野外で集団で鍋料理を囲む収穫祭的な意味合いの行事だったが、村をあげてのものだったという記載はないため少人数で行ったとされる。また、都市が未発達でほとんどの国民が農村に居住していた当時、わざわざ「河原」まで出かけて行ってやる必要性は無かった(現代の都市部では木造住宅が密集するため、火災防止目的で「河原」や「キャンプサイト」等、火気使用可エリアで行う)。なお、中秋の名月(芋名月)に団子ではなくサトイモなどを供えていたかつての風習との関係も不明。

サトイモの種芋は穴を掘って地中での保存が可能だが、食用のものは7℃ – 12℃に保たないと腐敗する(温度が低すぎても保存できない)ため、寒冷地の東北地方で越冬させるには囲炉裏や屋根裏などの温度が高いところでの保温が必要だった。その保存の難しさから、厳冬期前に消費する意味合いもあって「芋煮会」の原型が行われたと考えられる。また、青森県に「芋煮会」がないのは当時のサトイモの栽培限界より北にあったこと、東海地方以西で行われないのは、サトイモの保存が容易だったことなどが考えられる。

民俗学者の野本寛一は、「芋煮会」はこのようなサトイモの収穫祭が発展したものではないかと述べている。
多様化

1980年代には、旅館やアウトドア施設が花見などと同様に「芋煮会プラン」を商品化し始め、シーズンに入るとタウン情報誌や新聞折込チラシなどで多数の広告を見るようになった。また、アウトドア施設(フィールドアスレチック)、遊園地、温泉旅館の他、紅葉スポット(紅葉狩り)、渓流(釣り、カヌー)、海岸の砂浜(釣り)など、何か別のアミューズメントとの組み合わせで芋煮会が行われるようになった。対して、以前の中心地である「河原」での芋煮会は、今も主流であるものの、往時と比べて少なくなってきた。 現在では、地域のイベントとして定着しているところもある。

近年は、ホテルのレストランを中心に芋煮を含め、様々な秋の味覚を取り揃えた季節限定コース料理も供されるようになり、収穫祭的な芋煮会の楽しみ方は多様化が進んでいる。
山形県村山地方
江戸時代

山形県の村山地方では、江戸時代の芋煮会の原型の様子をあらわす話がいくつか伝わっている。

中山町長崎では、里芋を鍋で煮て食べるときに鍋をかけたという言い伝えのある「鍋掛の松」が1917年(大正6年)まで残っていた。鍋は、近くの小塩地区の名産だった里芋「小塩芋」と、船に積んできた棒鱈と、最上川でとれたザッコ(雑魚)をいっしょに煮たものだったという。長崎は、1693年(元禄6年)の最上川五百川峡・黒滝の開鑿までは酒田港と結ぶ最上川舟運の終着港として賑わっていた。このことから、元禄時代以前の船頭たちが積荷を使って鍋をしたのが芋煮会のはじまりであると山形の郷土史家である烏兎沼宏之は述べている。鍋掛の松は、芋煮のルーツをあらわす伝承遺跡として復元されている。

文化・文政時代(19世紀初頭)には、山形に移り住んだ近江商人たちが、京都の芋棒に思いを馳せながら、ニシンと里芋を煮て紅花取引の慰労会をしたという。

また、1845年(弘化2年)には、山形藩藩主の秋元志朝が、館林藩に転封されるときに芋煮の野宴を張ったとされる。
明治時代以降

明治時代(19世紀後半から20世紀初頭)になると、街の粋人たちが「野掛」といわれた山の芋煮を川原でもするようになり、1892年(明治25年)ころから川原での芋煮が定着した。以降、芋煮会は、山形に置かれていた歩兵第32連隊の兵たちや山形高等学校 (旧制) の学生が行ったり、見合いや商談、送別の場となったりした。

芋煮に牛肉が使われるようになったのは、昭和の初め(1920年代後半)頃からである。養蚕農家の人たちが、秋蚕後に繭業者の経費負担で芋煮会を最上川の川原で行い、そのときに当時普及し始めていた牛肉をおごらせたのが最初とされている。なお山形市内には明治時代に創業した牛肉店が多く、牛肉はその頃から普及しはじめたと考えられる。山形高校に在籍した作家の戸川幸夫は、1932年(昭和7年)の芋煮会の様子をエッセイ「わが山高時代の芋煮会」で記述しており、その頃からすでに山形名物の芋煮は盛んで、大鍋に芋、ねぎ、牛肉およびその代替品としての馬肉、こんにゃくなどを入れ、酒を酌み交わしていた、としている。また、中山町立長崎小学校から1941年に山形県中学校(のちの山形県立山形東高等学校)に進学した烏兎沼宏之は当時、長崎町内の学生団として自分たちで開催したほかには、最上川でも馬見ヶ崎川でも芋煮会の姿は見かけなかったとしている。芋煮の材料は1980年代と同じく、里芋、牛肉、こんにゃく、ねぎが主であった。太平洋戦争の激化により、烏兎沼らが芋煮会の開催したのは1942年までであった。

1945年(昭和20年)の終戦後数年は、肉の代わりにイカを入れていた。暮らしが豊かになると、会場が飲食店に移り、川原の人影は消えていった。

1974年(昭和49年)、山形市と山形市観光協会が伝統的な芋煮の研修会を開いたところ、大きな反響があり、川原での芋煮会が促されるようになった。1977年(昭和52年)からは、前年の唐松観音堂復元を機会に「山形いも煮祭り」が開催された。その後は、山形市内のスーパーマーケットが芋煮の材料や薪などのセット販売や鍋の貸出をしたり、飲食店のメニューに芋煮が加わったり、レトルトの芋煮が販売されたりするようになり、芋煮会はますます盛んになっていった。こうした動きの中、1989年(平成元年)に「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催され、10万人の人出を集めた。

山形市で里芋を栽培・販売しているさとう農園株式会社は、明治時代に行われた馬見ヶ崎川改修工事がきっかけで河原での芋煮会が広まったとしている。1891年(明治24年)まで行われた馬見ヶ崎川改修工事において、河川改良工事に従事した人たちは河原で大鍋を用いたちゃんこ鍋のようなものを昼飯として食べていた。これらの人たちが、1945年の終戦後に当時を偲んで河原で秋に大鍋を囲むようになり、その具材として里芋も用いたのだという。
年表
江戸時代

山形藩(現・山形県)において、呼称不明の野外での鍋料理が行われるようなった。現在の芋煮会の源流の1つとされる。
会津藩(現・福島県)において、「きのこ山」と呼ばれる野外での鍋料理が行われるようになった。現在の芋煮会の源流の1つとされる。
仙台藩北部、松島丘陵より北側の古川~石巻間(大崎地方ほか)が鶏卵の集散地となった(現在の芋の子汁:鶏肉・醤油味エリア)。
料理の分類

呼称以外に、地域によって材料・味付けが異なる。また、同一呼称地域内でも、それぞれの集団でアレンジされ、地域的に特徴的な具材の他に、白菜・ゴボウ・油揚げ・大根・ニンジン・豆腐・きのこ類などさまざまな具材が投入される。サトイモの代わりにジャガイモを入れる場合もある。細分すると正月料理の雑煮並みに種類があるが、ここでは、1.使用する肉、2.味付けの2点を基準に分類する。小分類は、a.呼称、b.使用するイモ類。

主な分布域
「豚肉みそ味」:山形県庄内地方、宮城県
「とりすき風」:北東北の内陸。「豚肉みそ味」とオーバーラップする
「牛肉しょうゆ味」:山形県内陸部
「寄せ鍋風」:三陸海岸沿岸、および、最上川の河川交通の要所

豚肉みそ味

豚肉みそ味の芋煮

宮城県の仙台平野では、豚肉・里芋を主な材料とし、仙台味噌で味付けをする豚肉みそ味の芋煮がつくられる。「仙台風芋煮」と呼ばれる。
福島県の浜通り・中通りでも豚肉みそ味の芋煮が一般的。
山形県の庄内地方では、豚肉みそ味の芋煮が一般的である。(豚汁の元になったという説がある[要出典]が、諸説あるため定かではない)
栃木県などの様にイベントとして導入された関東地方ほかでは、豚肉みそ味の芋煮が一般的である。

「豚肉みそ味」芋の子汁

芋の子汁の地域でも一部で豚肉みそ味の芋の子汁がつくられる。

豚肉みそ味のなべっこ

秋田市・由利本荘市・能代市などを中心とする秋田県沿岸では「なべっこ」と呼ばれ、豚肉みそ味のなべっこも作られることがある。

ブレンド系「豚肉みそ味」芋煮

会津地方を中心に、福島県各地で味噌と醤油をブレンドした味付けが見られる。材料は豚肉みそ味の芋煮と同様。

「豚肉みそ味」+「牛肉しょうゆ味」芋煮

山形県最上地方では、庄内地方(「豚肉みそ味」芋煮)と村山地方(「牛肉しょうゆ味」芋煮)の間に位置しているために双方の影響を受け、豚肉・醤油味の芋煮が存在する。

とりすき風

「とりすき」とは異なるが、ここでは便宜的に、鶏肉・醤油味の芋煮を「とりすき風」芋煮と記す。

「とりすき風」芋の子汁

岩手県の北上盆地では、「とりすき風」芋の子汁が一般的である。また、盛岡市周辺では、津志田芋と呼ばれる若干固めの里芋が多く用いられ、北上市周辺では、二子芋と呼ばれる粘り気の強い里芋が多く用いられる事が多い。

「芋の子会」の名称が用いられる地域では、里芋と鶏肉を主な材料とし、醤油で味付けをする。「豚肉みそ味」芋の子汁も作られる。

牛肉しょうゆ味

「牛肉しょうゆ味」芋煮

山形県の村山地方では、牛肉、里芋、こんにゃく、ねぎを主な材料とし、醤油で味付けをする。「山形風芋煮」と呼ばれる。初めに鍋に肉を入れ、醤油で味をつけながら軽く火を通し、一旦皿に取る。残った煮汁に水を入れ沸騰したら鍋に皮をむいた里芋を入れ、軟らかくなるまで煮る。その後こんにゃく、肉の順に入れ、醤油・砂糖・酒で味を調えた後、最後にねぎを入れる。また最近ではこの他にシメジ・舞茸などを入れることが多くなっている。

ブレンド系「牛肉しょうゆ味」芋煮

山形県の置賜地方では、村山地方の芋煮と同じく牛肉を用いて主な材料も同じだが、加えて豆腐が入ることが一番の違いである。更に大根が入り、こんにゃくも場合によっては糸こんにゃくを用いるところが異なる。また、福島市(「豚肉みそ味」芋煮)と隣接しているせいか、醤油だけでなく味噌少々を加える。

寄せ鍋風

魚のみを入れる場合、魚と豚肉を入れる場合など様々ある。味付けも醤油味の他、味噌味もある。イモ類を入れる。

「寄せ鍋風」芋煮

三陸海岸ではジャガイモが使われる傾向がやや高く、豊富な魚介類も用いられる。
山形県村山地方にある朝日町では、棒鱈を使い、醤油で味付けする例が見られる。ただし、他の村山地方と同様に「山形風芋煮」が主流。

その他

残りの汁に、ご飯を入れて雑炊にしたり、市販のカレー粉などを入れてカレーうどんにしたりするのみならず、最初からカレーライスを作ってしまう例も若い世代には見られる。
近年では、地元の芋煮の他に他地域の芋煮を同時につくったり、さんまの塩焼きなどを同時に作ったりする例もしばしば見られる。

 

引用Wikipedia

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